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Sale of the Century

第二のロシア革命の内幕

アイコン 新 評論

2005年5月刊
アイコン クライスティア・フリーランド(フィナンシャル・タイムズ記者)
  訳者あとがきにあるように、「ロシア関係の書物の出版に逆風が吹いている」時期であることとも密接に関連していることに 触れながら紹介していこう。
アイコン (国家観)
どのような視点で国家を把握するのか、比較検討していくのか、と考えるときに「アメリカ以外に大国なし」または「米ソ以外に大国なし」「大英帝国」・・・ これらの帝国を見つめる他の普通の国家は、この三ヶ国を目指すべき目標としていたのだろうか?

アメリカ200年の発展は、旧社会のアツレキなき「新世界=自由社会」が出発点であったし、資本の自由の最新の実験場であった。同じようにロシアも共産主 義と独裁と粛正の実 験場でもあった。イギリスには、植民地戦争で確保した大きな資産と資本主義があった。
しかし、普通の国には過去の社会から引きずった重荷があり、また両国のように国内だけでも大きな市場があり、未開発の巨大な資源を 有しているわけでもなかった。
きっと実際には周辺の(地政学的)国家・民族、帝国主義国家との関連でのみ、中央集権国家を支える独裁体制や資本制工場の発展、教育・科学・軍事への対応 に追われていた。
国 家を夢見ても、それ自体が中央集権国家として成立するのかどうか?統一言語・文化があるのかどうか?その仮構作りもままならない実態であったのではないだ ろうか?
当時は、そもそも地球儀の上のほとんどの大地が分割・植民地化されていて、そこには(植民)都市だけがプロットされていた。日本でも英語を国語にしよう〜 傀儡国家と独立国家の区別もはっきりしていなかった。

地域の覇権を狙う国家もあった。旧大日本帝国やフセイン政権などが良い例だろう。大日本帝国にとって、帝国の原体験とは富国強兵と植民地台湾・朝鮮と租借 地の存在だったのだろう?

植民地の人為的分断により、新国家の版図を維持することに困窮し分裂した国家もある。
社会主義国家であれ自由主義国家であれ大国からの援助で人工経済による国家を演じた国家も多くあった。
偶然による緩衝国としてのみ独立を維持している国家もあった。

(21世紀の国家の原体験)
国家像を最初から固定して考えることには無理がある。
ブッシュが「イヌと思っているか、傭兵派遣国家と思っているか?」

このような過去形の国家観を作りあげてきたひとつの時代の終焉は、新しい国家観を必要とするだろう?ポーランドやチェコのように市民が育っていたところも あった。ないままに分割・波乱・戦場に投げ込まれた国家もあった。
そのような国家にとって、どのような国家像が描かれるのだろうか?経済体制と社会インフラを国際比較でどのように評価すべきなのだろうか?アジア経済危機 に見られたIMFの冷酷な干渉をどのように各国は受けとめているのだろう。タフなネゴシエ−ターは、どのように育てられているのだろうか?
普通の国家にとっての基本問題。21世紀になって普通の国家にとって現在の原体験は何なのだろうか?

そう考えていくと、日本での「ロシア離れ」と違って、どのように過少評価をしたとして「ユーラシア大陸でのロシアへの密着度」は無視できない。ルーブリの 価格変動に一期一憂した人々や、その市場解放のレベルを自国のレベルと比較しあった国家の判断にとって、このロシアの実態が現実のスタート台としてあるこ との認識が出発点なのである。


  (市民社会)
ロシアの社会の変化が始まっているのか?共産主義と収容所体制によって作り出された官僚国家を食いやぶる市民的連帯、相互の信頼関係はできあがってきたの か?ソ連の崩壊とロシアの政治はどのように変化・主張されたのか?このような問題に、この書物はほとんど触れていない。
ここでは、私有化のコンサルタント(若手改革派)とオリガリヒ(なりあがりの資本家)のストーリーがすべてであり、私たちは、ほとんど想像を絶する資本蓄 積の場面に立ち会う。逆に、このようなシンプルな展開であるだけに、このゲームの参加者への豊富な直接の面会・取材によってわかりやすい。


アイコン ポイント
  ここには自己撞着を繰り返すネット社会などはない。
「ソ連崩壊後のロシアの舞台裏に迫る最高の「経済スリラー」と出版社は評価しているようであるが、フォークロアでもあり経済SFでもあり、シュールな光景 といっては失礼であろうか?
私にはマルクス兄弟「我が輩はカモである」を見ているようであった。


sale

アイコン 内容
  (使命と現実)
1991年「資本主義のボルシェビキ=若手改革派のスター、血統書付きのボルシェビキであるガイダール、鉄の将軍チュバイスの台頭からストーリーは始ま る。
崩壊するロシア国家によって国有財産は「インカ帝国を略奪したスペイン人なみに、それを大急ぎで海外の聖域に移転した。1992年から2000年の間、 1000億ドルないし1500億ドルの資本がロシアから流出した。「ザル経済」と評される大混乱のなかでセール・ワゴンに群がった人々によるつかみあいが 始った。この私有化で、税収、教育、医療、年金などロシア社会のインフラは崩壊する。内陸中央部に多数存在する工場・鉱山地帯での混乱。
「マルクスから共産主義について教えられたことはすべて嘘だった。しかし、資本主義について教えられたことは何から何まで本当だった」

2000年、ところで気が付いてみると、彼ら(若手改革派)には政治基盤がなかったのである。
国有財産を個人に移転することには驚くほど成功したが、しかし私有化された企業の効率と収益性の改善という真に重要な尺度では、彼らの実績にはムラが多 かった。
「腐敗に目をつぶって民主化を優先する」民主化と腐敗の組み合わせは偶然の取り合わせではなく、完全に意識的な実利優先の選択であった。

(プーチンの登場)
私にとってもっとも現実的なのは、ロシアが穏健タイプの権威主義体制へ転落するというシナリオである。アパラチキ(ソ連時代からの官僚)の逆襲を可能にし たのはエリツィンにきわめて近い同盟者と、ロシアの誰よりも狡猾なオリガリヒ(新興資本家)であった。それはすべて、1999に始まった。当時、彼らは、 一介の旧KGBマンを表舞台に引っ張り出してクレムリンにすえ、そうすることによって自己の遺産を確保しようと考えたのである。

シロビッキ(内務省、旧KGBなど武力省庁の当局者)の権力上層部での割合は、ゴルバチョフ政権下の4.8%からプーチン政権下では58.3%と急激な変 化を遂げた。
「シロビッキは社会的地位や精神構造の点で非常に均質的な集団です。シロビッキは、自分たちが国家の利益のために行動していると考えており、ロシアが再び 恐れられる存在となることを狙っています。愛国主義や経世の才と称していますが、厄介なのは、彼らの心の中で強い国家という概念が恐怖心をかもしだすこと と結び付いている」
エリツィン時代の混沌状態で、無政府状態、汚職に対して集団的秩序復活の願望が生じた。不公平な資産分配とファウスト的取り引きがプーチンの台頭を促し た。法律の枠組みが不完全であり、法治の貫徹という高潔な見せかけのもとに国家統制を導入するのに理想的な環境であった。

(国際連帯)
たしかに、この地域での覇権を求めない国家にとっては、「ロシア関係の書物の出版に逆風が吹いている」のも当然であろう。
国家の首脳がこのような状態であり、本格的にアジア〜ユーラシア大陸に腰を据えた国益追求など虚しくなってしまうかのようである。

無制限にアメリカに追随し「アメリカの傭兵の死」によって国民感情を共感・共振させようとするこの国に良く見られる劇場型21世紀モデルは、アメリカ人・ ブッ シュと同様に、「世界への無知」をさらけ出す。




 
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