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科研編:化学兵器手当〜不健康業務恩給
陸軍習志野学校1982/1/16編纂委員会刊より



科研三部設立と化学兵器手当(化兵手当)支給

第二課から第三部への昇格
制度調査委員報告に基づき、大正14年5月1
日、化学兵器研究所掌の科研第二課は「部」に昇 格し第三部と称することになった。その人員は高等官約二十名を含む約百名、編成等は次のとおり である。
部長陸軍少将岸本綾夫(11期、大将)
調査班長陸軍砲兵大佐久村種樹(14期、中将)
防護班長陸軍工兵中佐安達十九(18期、中将)
整備班長陸軍技師鹿島孝三
運用班長陸軍砲兵大佐久村種樹
衛生班長陸軍二等獣医正田崎武八郎(獣医中将)
各班の所掌業務は次のとおりである。

調査班 庶務及ぴ各班の研究の統制、並に調査に関する事項及ぴ瓦斯の平時用途と瓦斯気象に関する事項、その他瓦斯に対する金属の保存耐久に関する事項
防護班 瓦斯防護に関する一切の事項
整備班 化学兵器の合成及ぴ製造に関する事項
運用班 化学兵器の兵器化、効力試験及び発煙に関する事項
衛生班 瓦斯の毒性及ぴ毒性徴数に関する事項及
ぴ瓦斯中毒治療に関する事項

各班は、それぞれ、高等官(将校及ぴ技師)、判任官(下士官及ぴ技手)、雇員及ぴ工員からなり、高等官(各班数名)は主任研究官として分担事項の研究に従事した。当時の第三部の研究費は年間約十五 万円であった。
この編成は大正14年の発足時から終戦まで二十一年間、殆んど変ることなく、一貫してそれぞ れの分野で研究を進めた。
イーブルで化学戦が生起してから十年、第一次大戦が終了してから六年を経て、漸やくわが国の 化学戦の本格的研究がスタートした。


大正14年4月27日勅令第一五二号
(要旨)軍備整理二伴ヒ科研ノ組織ヲ変更スル従来ノニ課制度(物理的及化学的事項ノ管掌)ヲ三部二改メ毒瓦斯二関スル研究ヲ加フ



第三部の編成の特異点
第三部の職員の中には若干の軍医、獣医、及び薬剤官を含んでいた。この点は他の兵器技術研究機 関と趣を異にするところであるが、これは決して、瓦斯傷害を受けた人馬の診断治療に当たるもので はなく(一般的な診断治療は軍医学校及ぴ獣医学校に委ねられてた)、瓦斯効力の発現の状況を医学的、獣医学的に研究するため配置ざれたものであった。

また、技師、技手の数が他の同類の機関に比べ
て多かった。これは第一次大戦勃発前後から強く 叫ばれ始めた科学振興の声に応じて、大学、高専が技術系学生の収容能力を増やしたこと、及ぴ化 学工業振興の国策に応じて優秀な学生が化学部門に集まったこと等により、必要を人員を採用しや すかったことによるものである。加えて、後述するように思い切った処遇上の優遇策を講じたこと も影響した。

研究施設、設備の充実
関東大震災の影響
大正12年度予算で認められた化学兵器研究設備費二十五万円で、戸山ケ原の科学研究所敷地内に 研究室、製造実験室、埴実実験室等を設備することとし、大12年9月1日午前11時、応札業者を集めて入札した。ところが落札した途端、午前 11時58分に関東大震災が発生、この思わぬ天災のため落札は白紙に戻し、後日、改めて再入札することとなった。その結果、震災復興の物価高のた め約二割高となったので、やむを得ず研究室を縮少して予算範囲内にまとめ、再々入札を行ない、なり、翌13年4月には鉄筋コンクリートニ階建約 百二十坪の建物と製造、実験設備が完成した。ちょうど同年4月に科研第三部が新たに発足したの と時を合わせて、研究設備ができ上った。

設備の増強
更に大正13年4月、久村中佐、鹿島技師の米国毒瓦斯施設視察の後、両名は軍中央部を説得し て新たに科研の化学兵器研究設備費百二十万円、毎年の研究費三十数万円を獲得した。この予算を もって研究室二棟百八十坪のほか付属建物を建設し、実験室約西十室、小工場約二十室並ぴに試験 用爆発井などが使用できるようになった。
昭和初期には人員150名となり、十数回の野外実験を行ない、研究の完成したものから逐次制 式制定をみるに至った。

研究支援体制の整備
有能な研究者の獲得
化学兵器の研究は未知の分野を開拓するものであり、長時日を要することが考えられたので、研 究者は今後長期間にわたりこの研究に専念できるように少壮有為の将校や技師が選ぱれた。とくに 将校は砲工学校高等科を卒業した者や、員外学生として一般の大学を卒業した者の中から選ばれた。 技師は大正14年以降、大学、高専卒の優秀な人材を獲得した。このため、当時一般の会社の初 任給が大学卒で八十円のところを百円で採用した。採用された者は、実際に、将校、技師とも優秀な人 材が多かったのである。

この第三部の創設とその研究に要する費用は、四個師団を廃止することによって節滅した費用の中 から転用したものであり、化学戦の技術的研究は当時の陸軍における重点施策の一つであった。この趣 旨は科研の職員に普ねく意識ざれ、待遇上の優遇とあいまって、研究意欲は極めて旺盛であった。

化学兵器手当の支給勅令

大正十四年十一月十四日
勅令第三一四號

化学兵器手當給興ノ件

朕化学兵器手當給興ノ件ヲ裁可シ茲二之ヲ会布セシ

化学兵器二関スル研究ノ為鳥其ノ試験、製造、検査及取扱ニ従事シ直接其ノ危害ヲ受クル虞アル睦海軍軍人軍属(軍属二非サル職エヲ含ム)ニハ別表ノ化学兵器手當ヲ給ス

本令ヲ適用スヘキ化学兵器ノ範囲及化学兵器手當ノ給興細則ハ主務大臣之ヲ定ム

別表 階級 月額 陸軍一(海軍省略)
将校、同相當官、高等文官、同待遇者 六十円以内
准士官、見習士官、見習医官、見習薬剤官、見習 獣医官、判任文官一等 四十円以内
下士、判任文官二等以下、判任文官待遇者二十円以内
兵卒二十円以内

一、主務大臣ハ常時ノ勤務二非サル者二封シ月額ノ二十分ノーヲ超エサル範囲内二於テ日額二依り化学兵器手当ヲ給スルコトヲ得但シー月内ニ於ケル支給額ノ合計ハ月額ヲ超エルコトヲ得ス
二、特ニ危険ト認ムル作業二従事スル者ニハ別ニ月額ノニ十分ノー以内ノ日額ヲ増給スルコトヲ得但シ月内二於ケル其ノ支給額ノ合計ハ月額ノ五割ヲ超エ ルコトヲ得ス
三、陸海軍二於ケル本表二掲ケサル者二封スル化学兵器手當ノ額ハ本表二準シテ主務大臣之ヲ定ム

(趣意書)
欧洲大戦以来新兵器ノ進歩二伴ヒ化学兵器(毒瓦斯)ノ研究ハ軍事上最緊要トナレリ然ルニ之力試験製造等ノ現業二従事スル者ハ常ニ萬全ノ注意ヲ沸フト雖モ尚絶エス其ノ中毒ニ罹リ或ハ不慮ノ災害ニヨリ死亡又ハ不具廃疾トナルノ不幸ヲ招クコトアルハ欧洲ノ事例二徴シ明シテー般ニ嫌忌且危険視セラルルモノナルカ故ニ航空勤務者ノ例ニ倣ヒ特ニ手当支給ノ制ヲ設ケ以テ其ノ発達奨励ニ資スルノ必要アルニヨル化学兵器二関スル研究ノ為、其ノ試験、製造、検査及取扱ニ従事シ直接其ノ危害ヲ受クル虞アル陸海軍軍人、軍属ニハ所定ノ化学兵器手當ヲ給スルコトニ定ム


大正十四年十一月十六目陸達第四二號
化学兵器手當支給規則
一、陸車軍人軍属並嘱託者、雇員、傭人及職エニシテ化学兵器二関スル研究ノ為其ノ試験、製造、検査並取扱ニ従事シ直接其ノ危害ヲ受クル虞アルモノニハ所定ノ化学兵器手當ヲ給ス
二、本規則ヲ適用スヘキ化学兵器ノ範囲ハ別ニ之ヲ定ム
三、化学兵器手當ノ月額ハ同一部隊ニ於テー月ニ且リテ第一號ノ業務二従事シタル者二之ヲ給ス
四〜六、(略)
七、化学兵器手當ハ所属長ノ証明ニヨリ毎月下旬俸給又ハ給料支給ノ定日二之ヲ給スルヲ例トス
八、(略)
九、本達ハ大正十四年五月一日以降ノ給興ニ付之ヲ適用ス



当時、化学兵器の研究は航空勤務者と同様、思わぬ過失で生命を失なう危険があると考えられて いたので、研究員の安全を保障するような十分な安全措置がとられたが、同時に万一の事態に備え、 後顧の憂いなく研究に専念できるよう特別の優遇措置がとられた。
化学兵器手当、殉職者等に対する一時賜金、及ぴ不健康業務としての恩給加算
がこれである。
化学兵器手当は常勤の研究員に対し毎月定額を、非常勤者に対しては勤務日数に応じた日定額を支 給するもので、大正14年5月1日(第三部昇格の日)以降に適用された。
これらの一連の優遇措置が
研究員に安心感を与え、研究意欲を盛り立てるのに役立ったことは言うまでもない。
このうち、化学兵器手当は技師、技手等の採用に当り、民間企業との競争上有利な立場をとり得 たが、反面、同一研究所内の他の部署の者の羨望の的となり、しかも、実験に当っては十分な安全 措置を講じたこともあって犠牲者が殆んどなかっ
たことと合わせて、次第に怨瑳の声となっていったことも止むを得ないことであった。



大正十四年十一月十六日
陸普第四四二一號


一、化学兵器ト称スルハ塩素系、臭素系、砒素系、青酸系等ノ毒物ヨリ生スル瓦斯体又ハ蒸気体ノ軍用毒物ヲ言フ
二、化学兵器手當ハ陸軍科学研究所、睦軍軍医学校又ハ陸軍獣医学校二於テ勤務スル者二限り之ヲ給ス



大正十四年十二月八日
化学兵器手當ノ件
次官ヨリ技術本部長、科学研究所長、軍医学校長、獣医学校長へ通牒

今般、化学兵器手當支給規則発布相成候ところ、ご元来、本手當ハ危険ヲ冒シツツ研究二従事スヘキ将校以下ニ対シ優遇ノ途ヲ講シ、其ノ研究心ヲ旺盛ナラシムル目的ヲ以テ支給セラルルモノニ候間、此ノ種加俸手當等支給ノ意義ヲ稽ヘ、普遍的ニ流ルルコトナク、支給範囲及支給区分ヲ厳正シ、本目的ニ副フ如ク配慮相成度依命及通牒候也


一時賜金制度関係法規

昭和二年六月八日
 勅令一六四号


化学兵器ニ関スル研究ノタメ研究ノ為其ノ試験、製造、検査及検査及取取扱二従事スル者ニ時賜金ヲ給与スルノ件(抜すい)

第一條化学兵器二関スル研究ノ為其ノ試験、製造、検査及取扱ニ従事シ直接其ノ危害ヲ受クル虞アル陸海軍軍人、軍属、嘱託者及職工力自己ノ重大ナル過失二因ルニ非スシテ該勤務二従事中之力為死歿シ又ハ傷疾ヲ受ケ若ハ中毒症二罹リ不具廃疾ト為リタルトキハ本令二依リ一時賜金ヲ給ス該傷療又ハ中毒症ニ因リ三年以内二死歿シタル者不具廃疾ノ為一時賜金ヲ受ケサルトキ亦同シ
前項ノー時賜金ノ金額ハ大正二年勅令第九號別表
二定ノタル金額トス
第三條本令ヲ適用スヘキ化学兵器ノ範囲ハ主務大臣之ヲ定ム

付則
本令ハ昭和二年六月一日以降ノ給与二付之ヲ適用ス
注、大正二年勅令第九號とは「軍用航空機二乗シ航空演習従事者ニ一時賜金給与ノ件」をいい、別表に死亡一時賜金( 例、大佐七千円、大尉四千円、少尉二千円、軍曹千四百円、上等兵千円、ニ等卒八百円)、不具廃疾者一時賜金を定めている。

研究員の長期勤務
科研の所員の階級は中尉から大佐までとし、一般の部隊のように進級によって新たな職務に転ず ることなく引続いて研究に従事しうるよう人事上の施策がとられた。これにより長期間にわたる研 究に当り、転任等にわずらわされることをく専念することができ、中には二十余年の永年連続勤務 者もあった。

独人メッチナー博士の指導
わが国における化学兵器の研究は外国文献の調査から始まったが、実際の化学戦の様相について はもとより体験した者がなく、僅かに海外に派遣された者がその一端を知るのみであり、化学兵器 の製造、運用、防護等については幾多の難関があった。
このため、これらに通暁した外国人技師を
招聘して研究の指導に当らせることとし、化学戦については数歩の長があるドイツからワルター・メ ッチナー博士を招くことになった。(俸給月額二千円)。「メ」博士はフリッツ・ハーバー博士(ノー ベル化学賞受賞)の高弟でドイツにおける有数の化学専攻の学者である。大戦間はベルリンのカイザ −・ウイルヘルム研究所で一酸化炭素吸収剤の研究、敵の瓦斯防護資材の性能分析、化学戦技術情
報の調査等に従事し、また、ホスゲンの放射、射撃等、数多くの野外実験に参画しており、加えて 親日的な人格者で正に適材であった。大正14年11月1目から昭和2年10月未までの満二年間、 科研において瓦斯の効力試験法、検知の手段、瓦斯弾の設計、防毒面の設計、化学戦運用、瓦斯防 護等各般にわたりうん蓄を傾けて指導に当り、「メッチナー氏ノ来朝ハ暗夜ニ燈火ヲ得タルカ如グ化 学兵器ノ研究二対シ確固タル指針ヲ興へタルト共二析ニ触レ事二富リ明快ナル判決ヲ興へア当所従業員ヲ裨益セシコト少カラサルモノアリ」(功績調書) との評価を得、彼の帰国に際しては技術本部長から陸軍大臣に「陸軍大臣の招宴と記念品贈呈」方 を上申されるほどであった。その後、わが国の化学戦装備がドイツ流になったのは「メ」氏の影響によるところが大きい。 

恩給加算制度関係法規
恩給法(抜粋)
大正十二年四月十四目法律第四十八號


第三十八條
公務員其ノ職務ヲ以テ邊陬又ハ不健康ノ地域二引続キー年以上在勤シタルトキハ共ノ期間ノー月ニツキー月以内ヲ加算ス不健康ナル業務二引続キー年以上服務シタルト者亦同シ 前項ノ地域相互間ノ転勤ハ之ヲ引続キタル在勤ト看做ス第一項ノ地域及業務ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム


大正十二年八月十七日
勅令

恩給法施行令

第十七條恩給法第三十八條ノ規定二依ル不健康業務ノ加算ハ一月ニ付半月トス其ノ業務左ノ如シ
一、有毒ノ瓦斯若ハ蒸気、爆薬類又ハ危険ナル細菌
ノ研究又ハ製造二直接二従事スル勤務シテ内閣総理大臣ノ指定スルモノ



大正十一二年四月二十六日内閣告示第二號
恩給法施行令第十七條第一項第一號二規定スル勤務左ノ通定メ恩給法施行ノ日以後ノ勤務二付適用ス

一、左ノ場所二於テ有毒ノ瓦斯若ハ蒸気又ハ爆薬類ノ研究又ハ製造二直接従事スル勤務
陸軍造兵廠
睦軍科学研究所
陸軍火薬廠
陸軍軍医学校・…毒性化合物ノ研究室
陸軍獣医学校……毒性化合物ノ研究室
海軍技術研究所
海軍軍医学校



毒瓦斯研究委員会
化学兵器の本格的研究が開始ざれてから間もない大正15年、参謀本部内に「毒瓦斯研究委員会」 が組織され、陸軍として化学戦に関しとるべき一般的構想が研究された。その詳細についてはわか らないが、翌2年から開始ざれた化学戦教育(科研
で実施した)や、化学兵器製造施設などについても検討されたものと思われる。本委員会は昭和2年 一応終了したが、その後、昭和4年発足の「化学戦研究会」に引継がれた。

化学戦研究会
昭和4年6月21日、参謀本部内に参謀次長を委員長とする「化学戦研究会」が設置された。 この研究会は中央三官衙(陸軍省、参謀本部、教育総監部)のほか、科研及ぴ軍医学校の代表者を加え、委員23名、幹事24名からなり、化学兵器の用法と防護法、及ぴ平戦両峙にわたる編制装備、施設等が研究された。その中には化学戦関係の教育、研 究機関(陸軍習志野学校)の創設についても含まれ
ていたものと思われる。



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