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習校編:化学兵器手当〜不健康業務恩給
陸軍習志野学校1982/1/16編纂委員会刊より



階級 月 額ゲツガク コウ 月 額ゲツガク オツ 日 額ニチガク
将 校ショウコウ ドウ担当官タントウカン高等コウトウ文官、ドウ待遇 タイグウシャ 二 十五ニジュウゴ エン 二 十円 三 円サンエン
准 士官、判任文官一等 二 十円 十 二円 二 円ニエン
下 士官、判任文官 以下イカ判任文官待遇 タイグウシャ 十 円ジュウエン八十 ハチジュウセン 七 円ナナエン五十六 ゴジュウロクセン 一 円イチエン五十 ゴジュウセン
兵、 傭人、職工 三 円サンエン八十 ハチジュウセン 二 円ニエン六十六 ロクジュウロクセン 一 円イチエン

























化学兵器手当(化兵手当)支給

化学兵器手当(化兵手当)支給の制度は、大正14年11月14日の「化学兵器手当支給二関スル件」(勅令第一四号)、同年11月16日の「化学兵器手当支 給規則」(陸達第四二号)及ぴ「化学兵器ノ範囲二関スル件」(睦普第四四二一号)に基づいて、同年5月1日に遡及して施行され、科研、軍医学校及ぴ獣医学 校の間係者に支給されていたが、習志野学校についても昭和9年3月31日の達(陸密第二一九号)によって、昭和9年3月l日以降適用されることになった。

この手当は、習志野学校における実毒の研究、取扱、又は実毒を使用する演習に従事した関係者には、将校、准士官、下士官、兵、雇員、傭人及ぴ学生の区別な く支給され(習志野学校以外からの演習参加者にも支給された)、その後、終戦時まで続けられた(昭和20年11月30日廃止)。

支給額は「月額」と「日額」に分けられ、研究部と練習隊には月額を適用、本部、教育部(学生を含む)、研究部の一部及ぴ他部隊等からの演習参加者には日額 を適用した。これは「常時の勤務者」には月額、「常時の勤務に非ざる者」には日額を適用する主旨によって、このように区分されたのである。

日額の場合は化学兵器手当支給規則別表の定額をそのまま支給したが、月額の場合は定額を減じた制限額を支給した。制限額の程度は下士宮、兵の場合、平時給 与額(俸給、給料)の六割増程度になるようにした。その理由は月額を定額どおり支給するとかなりの 高額にな るため、支給額を戦地 の戦時給与額以下に抑えるという配慮や予算全般の都合から制限を加えたものである。
また、月額(制限額)は勤務の実態に応じて、更 に「甲額」と「乙額」に区分されており、乙額は甲額の七割の額とした。しかし、それでもなお、上等兵の場合月額甲額は三円八十銭(給料六円四十銭)、軍曹 (二等給)の場合月額甲額は十円八十銭(給与は十八円)となり、当時の給与水準や物価からみて相当な高額であった。将校の場合も同様の主旨で制限額が走め られた。昭和9年度の習志野学校の化兵手当の総額は二万五千円である(学校以外の演習参加部隊の分を含む)。

甲額、乙額は実毒の取扱や演習に従事した日数によって区分した。


陸密第二六九号
化学兵器手当定額減額ノ件回答
昭和九年三月三十一日陸軍大臣林銑十郎
教育総監真崎甚三郎殿
三月三十一日付教密第四三七号照会首題ノ件異存ナシ


教密第四三六号
昭和九年四月二十日
         教育総監部庶務課長廿粕重太郎
陸軍省副官牛島満殿

陸軍習志野学校化学兵器手当支給規則適用二関スル内規別紙ノ通通牒ス

陸軍習志野学校化学兵器手当支給規則適用二関スル内規
第一条本校二於テ化学兵器手当支給規則(以下規則ト略称ス)第一条ノ業務二従事スル左記職員以下ニハ月額ヲ支給ス但甲額及乙額ノ何レヲ支給スヘキヤハ実際 従事シタル日数二応シ規則別表備考第二号ニョル
一、校長及幹事(但シ当分ノ間特二別二定ムル所ニヨル)
二、研究部二在リテ直接研究二従事スル将校同相当官(研究部主事、本校二職ヲ有スル研究部員、技師、准仕官、下士官、技手
三、練習隊長、練習隊付将校、准士官、下士官、分遣下士官、兵
第二条 前条以外ノ職員以下二対シテハ実際毒物ヲ便用シタル場合及毒物ヲ使用スル演習二従事シタル場合
第三条 他ノ官衙学校二本職ヲ有スル本校研究部兼務部員ハ規則別表備考第一号第二項ニ示ス兼務者トシ実際従事シタル日数二応シ日額ヲ給ス
前項ノ研究部兼務職員ニシテ他ノ官衙学校ニ於イテ化学兵器手当ノ支給ヲ受クルモノニ対シテハ之ヲ給セス
第四条本校二於ケル学生ニハ実際毒物ヲ使用スル演習二従事シタル日数二応シ日額ヲ給ス
第五条本校二於ケル研究試験二参加シタル他ノ学校軍隊ノ将校以下シテ毒物ノ取扱及毒物ヲ用フル演習二従事シタル者ニハ実際従事シタル日数二応シ日額ヲ給ス

化兵手当支給に関する通達等は次のと おりである。

陸密ニ一九号
昭和九年三月三十一日
陸軍習志野学校長宛達(教青総監部経由)
化学兵器手当支給二関スル件

陸軍習志野学校二於テ勤務スル者ニハ昭和九年三月一日以降大正十四年陸達第四十二号化学兵器手当支給規則二依り化学兵器手当ヲ支給ス但シ其ノ定額ハ学校長 二於テ必要ト認ムルトキハ睦軍大臣ノ認可ヲ受ケテ之ヲ減少スルコトヲ得
追而化学兵器ノ範囲ハ大正十四年陸普第四四二一号二依ル儀ト心得ベシ


教密第四三七号
化学兵器手当定額減額ノ件照会
   昭和九年三月三十一日教育総監真崎甚三郎
陸軍大臣林銑十郎殿

陸軍習志野学校二於テ支給スル化学兵器手当別表定額ノ通減額致度三月一二十一日付睦密第二一九号二依り照会ス

別表陸軍習志野学校化学兵器手当定額表
備考 本表ハ化学兵器手当支給規則別表ノ給額表二
相当スルモノシテ同表備考ハ本定額支給ニ
関シ其まま適用スルモノトス



▼習志野学校化学兵器手当定額決定理由
当校職員以下ノ化学兵器取扱二関スル危険度ハ現行化学兵器手当支給規則中ノ適用ヲ受クル何人二比スルモ亳モ差別ヲ認ムヘキニアラスト信スルモ内地部隊二在 ル者シテ戦地二在リテ戦時給与ヲ受クル者以上ノ手当ヲ受クルコトハ精神上忍ヒサル所ナルト一方予算ノ制限ヲ受ケ化学兵器手当支給規則別表二示ス定額ヲ支給 スル能ハサルヲ以テ左ノ主義二基キ制限額ヲ決定セリ
一、下士官兵月額下士官兵ハ在戦地戦時給与二準シ平時給与額ノ六割増ヲ標準トシ兵(上等兵トシ)二於テ三円入十銭、下士官(軍曹二等給トシ)二於テ十円八 十銭ヲ月額甲額トセリ
 月額乙額ハ同甲額ノ七割ト定メクリ是レ危害ノ発生ハ必スシモ常二回数ニ正比例スルモノニアラサルト練習隊二於ケル毒物使用ハ多クモ月十日内外ト見倣シ得 ヘク而シテ下士官兵ハ勤務其他ノ関係ニヨリー月以内二於テー日ノ差ヲ以テ手当支給ニ甲、乙ノ差ヲ生スルコトアリ斯ル事情二依リテ甲、乙両額二甚シキ差異ヲ 付スルハ統御上面白カラス依リテ規期ノ精神ニモトラサル範囲二於テ其差ヲ緩和セシメタリ

二、将校同相当官、高等文官、准士官
予算ノ許ス範囲二於テ化学兵器手当支給規則ノ精神二基キ決定セリ
三、日額

臨時命ヲ受ケテ研究業務二従事スル者二支給スルモノナルヲ以ッテ規則ノ定額ヲ制限スルコトナシ
四、平年度化学兵器手当使用計画

本制制限ヲ以テ現在ノ平時定員ニ対シ手当支給ヲ計画セハ別表ノ如ク令達予定額二万五千円中約二万円ヲ当校職員以下二支給シ残余約五千円ヲ当校二於テ実施ス ル実毒演習二参加スル校外部隊二充当シ得ヘシ



不健康業務恩給加算制度の適用

化学兵器(毒性化合物)の研究、取扱業務を不健康業務に指定して、この業務に従事した期間を特別に通常の恩給期間に加算する制度、即ち、恩給法(大正12 年4月14日、法律第四八号)第三十八条の「不健康業務加算制度」は、恩給法施行令(大正12年8月17日、勅令)及ぴ大正13年4月26日、内閣告示第 二号ノ第一号未項に基づき、既に科研、軍医学校及ぴ獣医学校等の関係者に適用されていたが、習志野学校についても昭和9年6月30日に内閣恩給局長の指定 を受け、同年6月以降適用されることとなった。
これは不健康業務従事期間一月につき一月以内を加算するもので、このため該当者は毎月、「不健康業務加算勤務日誌」を記録し加算期間算定の資料とした。 (引用例では一月につき半月加算である。

この制度は化学兵器手当とは異なり、終戦によって廃止されることなく、現在でも適用されている。


なお、習志野学校に本制度を適用するための内閣恩給局長宛の照会文書(昭9・6・1、陸密312号)は、昭和9年5月31日に陸軍恩賞課で起案提出され、 兵務課長、人事局長、兵務局長を経由して、翌6月1日には次官決裁を済ますという異例のスピード処理であるが、 これは同年5月17日の相馬が原の 演習事故がこのように部内の手続きを急がせたのではないかとも考えられる。(本演習は、事前に新聞記事差し止めの措置がとられている)

(註)相馬が原演習事故1934/5/17
はじめての国産試製瓦斯<びらん瓦斯=イペリット、ルイサイト混合>の毒効力戦況演習。 @車撒撒毒A撒毒地域強行突破演習に分かれ、教導隊二百名を中央部許可のもとに計画。

事故経緯
@車撒撒毒〜小隊長和田盛哉歩兵中隊長:習校練習隊附、教育総監部課員、警察予備隊、第二師団長、西部方面総監)、分隊長新藤進伍長、操縦手大畠上等兵、 標示兵村田上等兵が、当日午後に症状を自覚、発症。村田上等兵は6日後死亡(死後伍長に進級)。和田中尉と新藤伍長は奇跡的に危機を脱し、数ヶ月の治療後 復帰。 撒毒時に軽装甲車と撒毒車の連結部分故障のため、装面を脱いで作業をしたもの。
A撒毒地域強行突破演習。i 第一小隊<90式防毒衣で全身防毒> A 第二小隊<薄いゴム製で半防護> B 第三小隊<防毒面と防毒手袋のみ簡易防御> で、各隊5名に分かれ撒毒後30分に各人一動一止、躍進&停止&射撃、200m縦深で15分間動作
B撒毒後、防毒衣を脱し、風上で休息していた部隊が、風向変化により風下になったの気がつくのが遅れたもの
計今村均、研究部新妻雄騎兵大佐、同明石泰二郎少佐など将校5名、下士官10名、兵18名を出す。(東一陸軍病院、軍医学校「今度の患者数は、言葉は失礼 でありますが、学校としては治療の研究上尊い資料であります)


なお、昭和16年6月28日陸密182号により下記の部隊も不健康業務恩給を適用することとなった。
これらの部隊で化学兵器(毒性化合物)の取扱業務(訓練)に従事した期間を特別に恩給期間に加算するものであった。
一 
迫撃第一連隊(迫撃大隊を除く)
特殊自動車第一連隊(瓦斯第三連隊)
ロ連隊瓦斯大隊
歩兵52連隊瓦斯大隊
師団制毒訓練所
仙台、旭川、羅南、京城各師団
第1、8ないし12、14、16、23乃至25、28各師団
陸軍公主嶺制毒教導隊
関東軍制毒教導隊
以上昭和16年4月1日

(註)迫撃第一連隊:15.4.1基幹63D島根63iで新設。S16.10群馬県沼田移駐。連隊本部、第一大隊(迫撃三個中隊)、第二大隊(瓦斯二個中 隊)、材料廠計1055名。
特殊自動車第一連隊(瓦斯第三大隊)S15.3.9フラルギ(チチハル西南方30Km)で新設。連隊本部、瓦斯大隊(瓦斯二個中隊)、材料廠。S16.8 関特演に際し瓦斯第三大隊(瓦斯二個中隊、材料廠)に改編。さらにS17.10関東軍化学部練習隊新設に際し、同練習隊第二大隊に改編。


ロ連隊瓦斯大隊
歩兵135連隊瓦斯大隊
歩兵42連隊瓦斯大隊
以上昭和16年6月20日


化学兵器手当については、
元 七三一部隊員・篠塚良雄氏『第 1回 中国戦跡を訪ねる平和の旅記録集』(1998年発行) (1997年8月22日夜、北京・天橋賓館にて)の講演をご参照ください。

不健康業務恩給加算については、不明。
所轄官庁は厚生省であることは間違いなく、この受給者数、支給明細がわかれば、総体としての化学戦の大枠がつかめるであろう。


陸軍給与令
昭10.7.1現在
   
大将 6,600 以下年額
中将 5,800  
少将 5,000  
大佐 4,150  
中佐 3,220  
少佐 2,330  
大尉一等 1,900  
大尉二等 1,650
大尉三等 1,470  
中尉一等 1,130  
中尉二等 1,020  
少尉 850  
准士官一等 960  
准士官二等 900  
曹長一等 39.5   以下月額
曹長二等 34.5  
曹長三等 30  
軍曹一等 22.5  
軍曹二等 18  
軍曹三等 15  
軍曹四等 13.5  
伍長一等 10.5  
伍長二等 9  
伍長勤務上等兵 7  
上等兵 6.4
一、二等兵 5.5  




















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